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あなたの周りにもいないだろうか?
立場が変わった途端に発言が変わる人が。

最初は小さなズレで済むだろうが、続けていくことで次第に歪みは大きくなり、最終的には自己矛盾を起こし、苦しむことになる。

いい気味だ、自己責任だと思う人もいるだろうが、他人事だと侮ることなかれ。
この問題は誰しも少しは抱えており、完全に消し去ることは非常に難しい。
明日は我が身なのだ。

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例えとして、知人Pの話を挙げよう。

Pは自由奔放な性格で、上司とか後輩とか関係なく自分の意見を言う人であった。
納得できないことがあれば反発し、お世辞にも大人しく言うことを聞くタイプの人間ではなかった。
上司からしたら扱い難いかもしれないが、見ている側からしたら一種の心地良さがあり、見習う部分も多かった。

そんなPが昇進し、管理する立場になった。
するとどうだろう、あれだけ上司と反発してきたPが、部下が言うことを聞いてくれないと悩みだしたのだ。

当たり前である。
言うことを聞いてこなかった人間の言うことを誰が聞くだろうか。
少なくとも私は内容に納得しない限り聞きたくない。

してきたことは変えることができないのだ。
“どうにかして部下に言うことを聞かせる”ではなく”言うことを聞かない部下をどう扱うか”という様な考え方に変えない限り、Pは一生悩み続けることになるだろう。

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では、このような事象を避けるにはどうすればいいのだろうか?
私は、”されて嫌なことはしない (されたいことをする)”ということをオススメする。

当たり前のことじゃないかと思うかもしれないが、思い返してみてほしい。
案外できていないことが多いのではないだろうか?

先程の例で話すと、Pは言うことを聞いてほしいにも関わらず、言うことを聞いてこなかったのだ。

私の言い分に当てはめると、
“言うことを聞いてほしいなら、言うことを聞いてくるべき”
“言うことを聞きたくなかったのなら、言うことを聞かすことを諦めるべき”
なのだ。

そもそも他人を思い通りに動かそうとするのが間違いである。
自分ができないことや、してこなかったことを他人に押し付けるのは尚更だ。

行動と言動の乖離を減らし、自我を保つことで、自ずと結果は現れる。
裏を返せば、できることなどそれくらいしかない。

自分がされて嫌なことをしなくても、他人から嫌なことはされる。
自分がされて嫌なことをすると、他人からされない訳がない。

自分がされたいことをしても、他人からされないことがほとんど。
自分がされたいことをしないと、他人からされる訳がない。

どうも割に合わないと感じるかもしれないが、それでもやらなければ得ることはできないのだ。

容易なことではないが、ここまで読んでくれた皆様ならできると信じている。
私も負けじと励みたい。