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鉄は熱いうちに打てという言葉に従い、今日もせっせとブログを書くことにする。

 

私は偏ったところでこだわりが強いが、物欲があるほうではない。

少し欲しいなと思うものでもまあ別に良いかと思えるし、ないと困ると感じたときに買うので十分だと思っている。

ある程度余裕のある生活ができているので、特段お金が欲しいと感じたこともなく、お小遣い生活で十分に満足している。

 

アカデミアの世界に行くことを決めた理由の一つに、お金に興味が持てなかったことが含まれる。

甘っちょろい考え方なんだろうなと頭では感じではいるが、いかんせん稼ぐことに興味が持てなかった。

正確には研究の方が興味があったと表現する方が正しいように感じる。研究のためになら興味が持てそうな気がする。

なんにせよ稼いだ先にしたいことがないのだから、興味を持てなくても仕方がないと言い訳したい。

 

そんな私だが、今猛烈にお金が欲しい。恥じずにもう一度言おう。お金が欲しい。

10年に1度あるかないかの、非常に手に入れたいものができたのだ。

”LeicaのMシリーズ”

これが欲しい。欲しい。欲しい。

 

私の推しが落合陽一さんだということを差し引いても手に入れたいと思うカメラだ。

画風がどうだとか色合いがどうだとかシャッター音がどうだとか、全く分からん。撮ったことがないため何も言えない。

ただひたすらに見た目がタイプ。そう、私は自他ともに認める面食いである。

Leicaを見た後は、もう他のカメラが格好良いと思えなくなってしまった。

(今うちにあるNikonのカメラちゃんだけは可愛いと思っていますよ。)

 

ただね、高いの。

すごく高い。

一番新しいM10は100万円する。

何度も桁を確認した。

うん、100万円だ。

でも欲しい。どうにかしなければ。

 

こんなに欲しいものが見つかると、あれだけ興味がなかった稼ぐことにも興味が出る。

今年中にLeicaのカメラを手に入れられるよう、試行錯誤するとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、早く欲しい…

 

 

 

“みんな違って、みんなどうでもいい”

これは、落合陽一さんが発信していた言葉なのだが、非常に心地がよい。
僕はきっとこの言葉のネガティブさに惹かれたように思う。

“みんないい”場合、言葉の響き的に”みんなGood”という意味合いを含んでいるように感じる。
これでは認め合わなければならないという強制力が生じ、肯定したくないことまで肯定せざるを得ないような気持ちになるのだ。

それに引き換え、”どうでもいい”はそれがない。
認め合う必要もないし、そもそも興味関心がないのである。
あなたが何をしてようが、僕が何をしてようが関係ない。
お互い干渉し過ぎることなく、それぞれのしたいことをしたいようにすればいいのである。

非常にシンプルであり、生きていくにはこれくらいの方がちょうどいい気がする。

話は少し変わるのだが、僕は”僕なりの正義”というものが強過ぎて、他人にも同様の正義を求めてしまう癖がある。
要するに、気に入らない価値観をもった人が嫌いで、矯正もしくは排除しようとするのだ。
我ながらいい迷惑である。

最近は幾分かマシになってきて、”排除すべき”ではなく”僕は嫌い”と考えるようになってきた。
きっとどうでもよくなってきたのだろう。
結局何を言おうが、何を言われようが、僕のすることは変わらないし、僕にしか変えられないのだから。

 

僕はこういう解釈をしたが、あなたにもあなたなりの解釈があると思う。
その違いに対して意見するつもりもなければ、される筋合いもない。

みんな違って、みんなどうでもいいのだから。