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博士課程に進学した後の話をしようと思う。

進学までの話はこちらの記事を見ていただきたい。

 

どのように実験を進めたかというと、装置やサンプルの都合上大学で実験する必要があったため、会社から許可をもらい2, 3ヶ月に3日間程大学に行かせてもらった。

1年目の冬にコロナが流行り始めたため大学に行くことができなくなったが、1年間でデータをある程度得ることができており、致命傷には至らなかったことは不幸中の幸いである。

 

結果的に3年間で論文を3報出すことができ、留年することなく卒業できそうなのだが、実は1報目の論文が通ったのは3年生の6月であった。

1報目の内容を初めてを投稿したのが2年生の10月の頃であったが、3ヶ月後にリジェクトの通知が来た。

まあ初めてだしそんなもんだろうと気を取り直し、別の雑誌に投稿するも再びリジェクトの通知を受けた。この時3年生の5月であった。

 

焦った。非常に焦った。

想像した以上に査読には時間がかかり、簡単には受理されないことを痛感した。

修了には査読付きの論文が2報必要となっている。

他にも投稿中の論文もあったが、このペースで行くと後がない。

このとき初めて”留年”を覚悟した。

 

リジェクトされた後、急いで修正し、祈る気持ちで投稿した。

“3度目の正直。お願いだ、リジェクトだけは勘弁してくれ。”

 

すると1ヶ月もたたないうちに連絡が来た。

内容について質問されていたので答えると、すぐに返事が来た。

なんとアクセプトされていたのだ。

これには拍子抜けした。

あまりにもあっさりとし過ぎていたので、本当にアクセプトされたのかどうかすら疑うレベルだった。

指導教員にも確認し、HPも確認した。

やはりアクセプトされていたし、査読付きの雑誌でもあった。

 

ほっとしたのも束の間、2報目の結果が返ってきた。

どうだ…

どうだどうだ…

リバイスだ。

安堵するとともにすぐに修正した。

3年生の7月、無事2報目についてもアクセプトされ、最も重要な修了要件を満たすことができた。

保険で出していた3報目についても、11月にアクセプトされたため、ある程度内容のある博士論文が書けそうである。

 

不思議なもので、どんなに行き詰まっていても何か1つ上手くいくとトントン拍子に物事は進むみたいだ。

諦めなければどうにかなるということを身をもって体験することができた。

 

最後になるが、私は社会人ドクターを選択して後悔したことはない。

進学前に社会人ドクターに関する様々な記事を読んで、心の準備をしていたからかもしれないが、それ以上に得られるものがあったからだと思う。

1度社会に出たからこそ見える世界があり、その上で行う大学の研究はこれまでと全く違って見えた。(学生時代にふざけ過ぎていたせいもあるかもしれないが)

それを3年間で約190万円 (国立大学の入学金 + 授業料3年分) で体験できるなら、自己投資としては非常にコスパがいいように思う。

そして、博士課程に向き不向きなどないし、ちょっと違うなと感じればすぐ辞めればいい。

ちょっと違うかどうか感じるためにも1度は入学する必要があるが、損額は約55万円 (入学金と前期の授業料) で済む。

やらなくて一生後悔する可能性が少しでもあるならば、進学すべきである。

人生がかかっているのだ。55万円なんて大した額ではない。

 

社会人ドクターに挑戦する人が増えることを祈っている。