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あなたは他人が何かしている時(例えば、勉強やスポーツ、仕事など)、アドバイスをした経験はないだろうか?
もしあればその時のことを思い出してほしいのだが、あなたのアドバイスは聞き入れてもらえただろうか?

聞き入れてもらえることもあるし、そうでない時もあるだろう。
今回はその差について考えてみたいと思う。

そもそも何故人は他人にアドバイスをしたがるのか?
まずはそこから話をしよう。

話は単純だ。自分が違うと思うことを見たり聞いたりするのが嫌だからだ。
もちろん他人のためにアドバイスをすることもあると思うが、一番の理由にはなりえない。(あいつは人の話を聞かないと憤っているやつは大概自分のためにしか言っていないやつだろう。)
巡り巡って結局は自分のためなのだ。

これは決して悪いことではない。
私自身、自分のために他人に施した方がいいと感じている。

かの有名なガリレオ・ガリレイも以下の言葉を残しているそうだ。
“We cannot teach people anything; we can only help them discover it within themselves.”
“人にものを教えることはできない。自分で発見する手助けができるだけだ。”

上司や先輩方には肝に銘じてほしい言葉である。

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さて、アドバイスを聞き入れてもらえるもらえない問題に話を戻そう。
アドバイスを聞き入れない理由として真っ先に思い浮かぶのは、”アドバイスの内容”だろう。
アドバイスの内容が良ければ受け入れてもらえるし、そうでなければ受け入れてもらえない。

本当にそうだろうか?

自分がアドバイスを受ける側になって考えてみてほしい。
他人からアドバイスを受けた時、その時は受け入れることができなかったが、後々そのアドバイス通りにすると上手くいき、もっと早く受け入れておけばよかったと感じた経験はないだろうか?

アドバイスが良かったところで、受け入れることができないこともあるのだ。

では、なぜあなたはそのアドバイスを受けることができなかったのであろうか?

他に考えられる理由を以下に列挙してみた。
・その情報は既に知っている、試したことがある
・良いアドバイスだと感じなかった
・あなたに言われる筋合いはない
・自分のポリシーに反する
・やれば良くなるのであろうが、今のままでも問題がない

恥ずかしながら、これは私が人のアドバイスを聞かない時の思考回路である。
試したことがあるを除くと、これらアドバイスを受け入れられない理由には、1つの共通点がある。

大して困っていないのだ。

知っているけども、試してみるほど困っていない。
アドバイスを選べるくらい余裕がある。
人を選べるくらい余裕がある。
ポリシーを優先できるくらい余裕がある。
そもそも困っていると感じていない。

そんな状態でアドバイスをもらったとしても、いくら内容が素晴らしかろうが余計なお世話でしかない。
だから聞き入れないのだ。

自発的にアドバイスをしたい場合、相手が困っているか否か見定める必要がある。
しかし、見定めるのは難しいのだ。
どうしても言いたい場合は、直接聞いたり質問してくるのを待ったりした方がいいだろう。

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ここまでの話は、自分が気をつけるだけで良かった。
次は他人から相談を持ちかけてきた時のことを考えよう。

実はこちらの方が難しい。
自分以外のファクターが絡んだ途端、難易度が跳ね上がるのだ。

でも相談するのは困っているからでしょ?何も気にせずアドバイスすればいいじゃないか。
と思う方々もいるだろう。

諸君、落ち着きたまえ。
相談されたと勘違いして色々アドバイスしたが、蓋を開けてみれば話を聞いてもらいたかっただけと言われた経験はないか?
自慢ではないが私は多々ある。きっと自戒の念がこの文章を書かせているのだ。

何度も地雷を踏むことで分かったことがある。
話を聞いてもらいたいだけには2種類あるのだ。

“一休憩するための聞いて”と”他人に依存している聞いて”である。

“一休憩するための聞いて”から説明しよう。
聞く側からしてこの聞いてはあまり害はないと思う。たまに八つ当たりされるくらいだ。まぁ、迷惑なことには変わりない。(ちなみに私はこのパターンが多い)

このタイプの聞いては、愚痴を言っても仕方ないことや、次に行うべき行動が分かっていることが多い。
ただ文句を言わないと気が済まなかったり、背中を押してほしいだけなのだ。

相手を刺激しないよう適当に相槌をうっていれば、勝手に満足して帰っていくだろう。
同じ口をいつまでも聞かされることは少ないはずだ。

難儀なのは”他人に依存している聞いて”のタイプである。
このタイプは、さも困っているように相談しておきながら、どのようなアドバイスも跳ね除け、一生同じ悩みをぶつけてくる。
もはや悩んでいる自分が好きなのだろうとさえ感じる。

結局困っていないのだ。
ただただ悩みのような不幸自慢を浴びせ、他人の時間を奪う。
これが一生続くと考えるだけでゾッとする。

このタイプにかける言葉は皆無だ。
どんな言葉も理論も通じないため、一刻も早く逃げた方がいい。
やつらは桃鉄に出てくる貧乏神と一緒である。

他人に相談するということは、他人の時間を奪うということだ。
逆もまた然りで、他人にアドバイスをするということは、他人の時間を奪っている。

ゆめゆめ忘れることのないよう、私自身気をつけたいと思う。

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結局何が言いたいかというと、他人のためにアドバイスをしない方がいいということだ。
私も含め、人は皆自分の都合のいいように生きている。
それはアドバイスをする側もされる側も一緒である。
あなたにとっては都合の良いアドバイスでも、他人からしたら悪い場合もあるのだ。

無理矢理押し付けるより、そっと置いておいておいた方が良い。
必要な時に必要な誰かが取っていくだろう。
そう信じて私はこの記事を書いている。

また、他人の悩みであなたが疲弊する必要なんて一切ない。
あなたはそんなに暇ではないはずだ。
自身の人生を懸命に生きるべきだ。

偉そうなことを綴ってみたが、私はお節介で他人に物を言いたい側の人間である。
本人が困ってないうちはあまり言わないようにしているが、言いたいことが消えて無くなるわけではない。

早く困れと念じる今日この頃である。