“みんな違って、みんなどうでもいい”
これは、落合陽一さんが発信していた言葉なのだが、非常に心地がよい。
僕はきっとこの言葉のネガティブさに惹かれたように思う。
“みんないい”場合、言葉の響き的に”みんなGood”という意味合いを含んでいるように感じる。
これでは認め合わなければならないという強制力が生じ、肯定したくないことまで肯定せざるを得ないような気持ちになるのだ。
それに引き換え、”どうでもいい”はそれがない。
認め合う必要もないし、そもそも興味関心がないのである。
あなたが何をしてようが、僕が何をしてようが関係ない。
お互い干渉し過ぎることなく、それぞれのしたいことをしたいようにすればいいのである。
非常にシンプルであり、生きていくにはこれくらいの方がちょうどいい気がする。
話は少し変わるのだが、僕は”僕なりの正義”というものが強過ぎて、他人にも同様の正義を求めてしまう癖がある。
要するに、気に入らない価値観をもった人が嫌いで、矯正もしくは排除しようとするのだ。
我ながらいい迷惑である。
最近は幾分かマシになってきて、”排除すべき”ではなく”僕は嫌い”と考えるようになってきた。
きっとどうでもよくなってきたのだろう。
結局何を言おうが、何を言われようが、僕のすることは変わらないし、僕にしか変えられないのだから。
僕はこういう解釈をしたが、あなたにもあなたなりの解釈があると思う。
その違いに対して意見するつもりもなければ、される筋合いもない。
みんな違って、みんなどうでもいいのだから。