“みんな違って、みんなどうでもいい”

これは、落合陽一さんが発信していた言葉なのだが、非常に心地がよい。
僕はきっとこの言葉のネガティブさに惹かれたように思う。

“みんないい”場合、言葉の響き的に”みんなGood”という意味合いを含んでいるように感じる。
これでは認め合わなければならないという強制力が生じ、肯定したくないことまで肯定せざるを得ないような気持ちになるのだ。

それに引き換え、”どうでもいい”はそれがない。
認め合う必要もないし、そもそも興味関心がないのである。
あなたが何をしてようが、僕が何をしてようが関係ない。
お互い干渉し過ぎることなく、それぞれのしたいことをしたいようにすればいいのである。

非常にシンプルであり、生きていくにはこれくらいの方がちょうどいい気がする。

話は少し変わるのだが、僕は”僕なりの正義”というものが強過ぎて、他人にも同様の正義を求めてしまう癖がある。
要するに、気に入らない価値観をもった人が嫌いで、矯正もしくは排除しようとするのだ。
我ながらいい迷惑である。

最近は幾分かマシになってきて、”排除すべき”ではなく”僕は嫌い”と考えるようになってきた。
きっとどうでもよくなってきたのだろう。
結局何を言おうが、何を言われようが、僕のすることは変わらないし、僕にしか変えられないのだから。

 

僕はこういう解釈をしたが、あなたにもあなたなりの解釈があると思う。
その違いに対して意見するつもりもなければ、される筋合いもない。

みんな違って、みんなどうでもいいのだから。

 

 

僕は他人が語ってくる理論の穴を見つけるのが得意である。

しかし自分の理論となれば別だ。

これは決して珍しいことではないだろう。

 

これは自身を第三者として観察できれば解決する話のであろうが、如何せん難しい。

僕は僕であり、第三者ではないからだ。

 

第三者として観察するメリットは、理論に対する情や思い込みがないことである。

ある程度フラットに物事を観察できるのだ。

 

第三者の視点を置き去りにすると、自分の気持ちが優先され、矛盾に気付かず話が飛躍してしまうことが多い。

自身にとって都合のいい解釈しか浮かばないのだ。

 

如何に第三者として自分と対話するか。

これに尽きる。

 

その方法の一つとして、文字に起こすという作業がある。

こうすれば、視覚的には第三者になりうることができる。

 

頭の中で考えるだけでは、当事者の域から出ることは容易ではない。

 

それでもやはり情や思い込みが消えることはないのだが、頭の中だけで考えるよりは幾分かマシであろう。

 

何か言いたいかというと、できる限り第三者的視点をもち、懐疑的に自分の思考や理論を捉え、ブラッシュアップすることが必要だということである。

 

そうすることで、自ずと成すべきことが見つかっていくのではないだろうかと感じている今日この頃である。

“人は何故自分に自信が持てないのだろうか?”

自信過剰なぼくは疑問に思うんですよ。

 

自信は必要なのか?という議論は必要あると思いますが、今回は自信は必要だということを前提に話をしたいと思います。

 

最近就活をしている博士課程の後輩と話す機会がありました。

その後輩は、

“テンプレートにない質問に答えることが得意”

“チームで物事を進めることが好き”

らしいのですが、

どうしても、

“小さなことを大きく話すことが得意な人”

“一人でゴリゴリに研究を進めることができる人”

と自分を比べてしまうらしいのです。

 

それぞれ良い点があり、比べるものではないとは分かっているのに、どうしても羨ましく思ってしまうらしいのです。

なぜそこまで分かっているのに、羨ましく思ってしまうのでしょうか?

 

みなさんも自分に置き換えて考えてみてください。

 

 

ぼくの結論としては、

“自分がどう有りたいかが決まってない”

ないしは

“固定概念が邪魔をしている”

からだと思います。

 

思考の順を追っていくと、

・自分に自信が持てない

 ↓何故?

・周りの人が良いように見える

 ↓何故?

・自分に無いものを持っているから

 

ここまで考えたことある人は沢山いると思いますが、もう少し考えてみましょう。

ここからが大事です。

 

その自分には無いものは、

  • あなたに必要なものですか?
  • 何故必要なんですか?
  • それがないとなりたい自分になれないのですか?

どうですか?

あなたはこの質問に答えることができましたか?

自分に自信がない方のほとんどは、答えられないのではのいかと思います。

 

またこの質問により、自信を持つことができない理由が、下の2パターンに分けることができます。

  • なりたい自分がないから何が必要が分からない
  • なりたい自分はあるけど何が必要か分かっていない

さて、あなたはどちらでしょうか?

理由を一つずつ見てみましょう。

 

———————————–

“なりたい自分がないから何が必要か分からないあなたへ”

 

今あなたは漠然と自信がない状態です。

 

例えるなら、部屋をどんなレイアウト(北欧、アメリカン、和風…)にするか決めていないのに、それぞれの家具が欲しくなって悩んでいる状態です。

まず自分がどう有りたいか(レイアウト)を決める必要があります。

それが決まれば、必要な能力や経験等(家具)を絞り込むことができるため、漠然とした自信のなさからは解放されるでしょう。

 

———————————–

“なりたい自分はあるけど何が必要か分かっていないあなたへ”

分かっていない状態にも2種類あって、

  • “情報を持っていない分かっていない状態”
  • “固定概念が邪魔をしている分かっていない状態”

に分けることができます。

 

前者の場合は簡単です。

調べてください。

なんか急に突き放したみたいになりましたが、世の中これだけ情報が溢れかえっており、SNSも発達している訳ですから、少し調べるだけでも方向性くらいは見えてくるのではないでしょうか。

 

問題は後者です。

個人的にはこのタイプの人が一番多いように感じます。

出世したい、起業したい、幸せになりたい、夢を叶えたい等、あなたのなりたい姿があると思います。

 

ただ、そうなるためのスキルや能力が、自分にはないと思い込んではいませんか?

言い換えると、

なりたいものに対して必要なスキルや能力の”固定概念”が刷り込まれていませんか?

 

先程の後輩の話を例にします。

後輩的に博士号を取得するような研究者は、

“一人でゴリゴリに研究を進めることができる人”

“一人でバリバリに成果を挙げる人”

でないとダメだと思っているみたいです。

 

果たして本当にそうなのでしょうか?

この能力がないと絶対に博士号を取得した研究者としてやっていけないのでしょうか?

 

そりゃもちろんあるに越したことはないでしょうが、mustの能力ではないと思うんですよね。

だってそんな決まりなんかないんだもの。

博士が一人でゴリゴリに研究を進めることができないといけないなんて誰が決めたんですか?

あなた自身じゃありませんか?

 

ぼくからしたら、博士号を取得した時点で立派な研究者ですよ。

一人でバリバリ実験する研究者がいれば、チームでゴリゴリ実験する研究者がいたっていいじゃないですか。

 

自分自身が勝手に作り上げた固定概念に囚われて、己を見失わないでください。

固定概念を一度全て捨てて、なりたい自分を実現するために本当に必要なスキルや能力について考えてみてください。

ここまで考えることのできたあなたです。

必ず見つけることができるはずです。

 

 

“本当に必要なスキルや能力について考えるときの注意点”

その際、以下のことを意識してください。

“持っていない能力を嘆くのではなく、持っている能力を活かすように物事を考える。”

 

なりたい自分になるためのスキルや能力がないと思い込んでいるときは、自分が持っていないスキルや能力を軸に考えていることが多いです。

そうではなくて、自分の持っているスキルや能力を軸に、なりたい自分になるためには次に何が必要かを考え、それに向かって新しいスキルを身に着けたり、自分の強みを伸ばしたりしてください。

もし自分が持っていないものが何が起きようと絶対必要なものならば、目標を見直すか、手に入れるまで足掻くしかないので、自信をなくしている場合ではないです。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

自分に自信を持つためには、

まず、

“なりたい自分”を見つけてください。

次に、

なりたい自分になるために”本当に必要なスキルや能力”を見つけてください。

その際、自分が現在持っているスキルや能力を軸に考えてください。

そうすれば、他人を必要以上に羨ましがることなく、真っ直ぐに理想のあなたに近付くことができるでしょう。

 

 

ではまた。

はいさいどーも、水まんじゅうです。

 

社会人になってからやっと

人前で素が出せるようになったのですが、

素を見た人にはよく、

「意外とドライだよね」

と言われるんですよ。

 

「いやいや、何をおっしゃる。

わたくし水まんじゅうは、超ハートフルで

ベイマックスもびっくりするような

優しさで溢れる人間ですよ。」

 

と思ってるんですけど、

あまりにも多くの人に言われるので、

ぼくはきっと相対的にドライな人間なんだな

と感じている今日この頃でございます。

(ついには奥さんにまで言われました。)

 

そんなドライな水まんじゅうが今回お伝えするのは、

信用していいのは〇〇しない人だけ

です。

 

これができると、あなたはもう

人に裏切られたと感じても秒で立ち直る

ことができます。

 


目次

1. 〇〇とは?

2. 基本的に他人を信用しないメリット

 ・小さな悩みが消し飛ぶ

 ・考え方が主体的になる

3. 水まんじゅうが信じる人の特徴

4. まとめ


 

 

1. 〇〇とは

早速ですが、〇〇の答えは予想つきましたか?

 

正解は

 

 

じゃじゃん!

後悔

です。

 

もう人に裏切られるのは嫌だ、

もうあんな悲しい想いはしたくない、

と思っているそこのあなた、

裏切られても後悔しない人だけ信じてください。

 

つまり、

それ以外の人は基本的に信用しないでください。

 

「ドライな水まんじゅうだからそう思えるんじゃないの?」

「私達の気持ちなんて分からないでしょ!」

 

と思う人もいると思いますが、

裏切られたと感じる人の気持ちが

分からない訳ではないんですよ。

 

むしろ分かるからこそこの考え方が

生まれたんですもの。

 

正直この考え方が出来るようになるまでは、

もしかして裏切られるかもしれない、

腹の底ではどう思っているのだろう、

と悩んでいることも多かったです。

 

そこで考えて考えて辿り着いたのが、

人を信用しない (鵜呑みにしない)

という答えでした。

 

寂しいことを言ってると思うのですが、

考えてもみてください。

 

全員が全員を信用できる世界だと思いますか?

あなたは周りの人を一生裏切らない自信がありますか?

 

前もお話しましたが、

前提としてこの世は狂っているんですよ。

(まだ見ていない方はこちら↓)

自分の人生を生きるために必要な”3つの前提条件”

 

広く浅く狂った人たちを信じるよりも、

狭く深く自分が信じたいと思う人たちを信じた方が、

いいとは思いませんか?

 

 

2. 基本的に他人を信用しないメリット

・小さな悩みが消し飛ぶ

例えばですが、

褒められたときにお世辞かどうか分からなくて、

どんな反応をしたらいいか悩んだことって

ありません?

 

これって、

相手の言ったことが本心か否か分からなくて、

どちらなのか判断しようとしてるから

悩みが生じる訳ですよ。

 

端から人の言うことを信じていなければ、

悩む必要なんてありません。

 

そういう意見もあるのかも、

もし本心だったらラッキー、

と思ってるくらいが丁度いいです。

 

いくら考えたり聞いたところで、

相手か本当に考えていることなんて

分かるはずないのですから。

 

小さなことかもしれませんが、

積み重なったり余裕がなくなったりすると

どんどんしんどくなります。

 

まず、小さな悩みから消していきましょう。

塵も積もればなんとやらです。

 

・考え方が主体的になる

一見、人を信用しないことと関係がないように

思うかもしれませんが、意外とあるんですよね。

 

先程も言いましたが、

他人を信用しなくなると、

意見を鵜呑みにすることがなくなり、

参考程度の情報として聞くことができます。

 

その得た参考情報を、

あなた自身が精査し選択する必要があり、

その結果生じた出来事は、全て自己責任です。

 

正直面倒くさいですよね?

自己責任になるなんて嫌ですよね?

 

適当に信じて、適当に鵜呑みにして、

起こった出来事は他人の責任にしてしまった方が、

ラクなんですよ。

 

だからこそ人は他人をむやみに信じようとします。

少しでも責任を減らしラクに生きるためにね。

 

その生き方が悪だと言っている訳ではありません。

 

ただね、

その先に自分が思い描く幸せなビジョンが

待っているでしょうか?

他人を信じているのではなく、

自分が信じられないのではないでしょうか?

 

情報が溢れているこの世の中、

自分を信じ、自己の責任で取捨選択を行い、

主体的に考える力を身に着けましょう。

 

あなたは、

自分を信じて成功・失敗するか、

他人を信じて成功・失敗するか、

どちらがいいですか?

 

 

3. 水まんじゅうが信じる人の特徴

ぼくは決して

独りよがりに生きた方がいい

と言ってる訳ではありません。

 

むしろ、

信用できる人を見つけるために

他人を信用しない方がいいのです。

 

そのためにはまず、

人でなく情報を信じる

ことをしてください。

 

どこどこの誰々さんが言ってたから信じる

ではなく、

どこどこの誰々さんが言ってた情報が

正しいと思うから信じる

にしてください。

 

ある特定の人がすべて正しいことを言っている

ことなんであるはずないからです。

 

多かれ少なかれ間違うことはあります。

あなただってそうでしょう?

 

なので、

人ではなく情報にフォーカスを当てて、

良し悪しを判断してください。

 

ぼくが信じてもいいなと思える人の特徴は、

・辻褄が合っている

・軸を持っている

・発言と行動が一致している

と感じる人です。

 

この3つの特徴を感じた上で信用し、

裏切られたのであれば、

自分の感覚が間違っていたのだと諦めて、

それを次の糧にしましょう。

 

これを繰り返していくと、

徐々に信用すべきか否かが見えてきます。

 

 

4. まとめ

裏切られて傷付きたくないのであれば、

基本的に他人を信用しないでください。

 

信用してもいいのは、

裏切られても後悔しない人だけ

です。

 

基本的に他人を信用しないメリットとしては、

・小さな悩みが消し飛ぶ

・考え方が主体的になる

があります。

 

周りの情報に左右されることなく自分を信じ、

自己の責任で取捨選択を行い、

主体的に考える力を身に着けましょう。

 

そのためにも、

人ではなく情報にフォーカスを当ててください。

 

信用できる人の特徴としては、

・辻褄が合っている

・軸を持っている

・発言と行動が一致している

が挙げられます。

 

自分のセンサーの感度を高めながら、

信用できる人を探してみてくださいね。

 

後悔の少ない人生となることを願っております。

 

ほなまた

 

 

はいどーも、水まんじゅうです!

 

突然ですが、あなたの周りに

・私が若い頃はこれが普通だった

・昔はよかった

・今の若い奴らは恵まれてる

・・・

と過去の苦労話や経験のみ

をやたら語ってくる人はいませんか?

 

ぼくはこの人達を、

経験マウント族

と名付けているのですが、

この人たちに言いたい。

 

だからなーにー!?

 

とまあ、愚痴っぽくなってしまいましたが、

この話は実は明日は我が身なんですよ。

 

自分の経験が増えていくに従い、

自慢をしたくなるというのが

人の性なんですよね。

 

ここでは、

経験マウント族から身を守る方法、

自分が族に属することを避ける方法

についてお話します。

 

ということで、今回のお題は、

経験マウント族に近付いてはいけない理由

です。

 

今回は4章構成でお送りしたいと思います。

 


目次

1. 経験についての認識と取扱い

2. 経験マウント族に近付いてはいけない理由

3. 絡まれたときに絶対してはいけないこと

4. 水まんじゅうなりの戦い方


 

お時間のない方は、

まとめ

をご覧ください。

 

ではでは、本編にまいりましょう。

 

 

1. 経験についての認識と取扱い

 

経験することは大事だとよく言われますが、

実際、経験の何が大事なのか分かりますか?

 

一番大事なことは、

その経験から何を得て、

どのくらい成長できるか

です。

 

つまり、

その経験を経て、成長できていないと

全く意味がないのです。

 

経験を例えるなら、

教科書

の様なもので、

ただ持ってるだけじゃ何の意味もありません。

 

また、経験と成長は以下の式で表せます。

成長 = 経験 吸収率

 

経験は教科書と表現した所以がここにあります。

 

どれだけ多くの教科書を持っていても、

どれだけの回数眺めていても、

内容を理解して吸収できていないと

自分の成長には一切繋がりませんよね?

 

同じ経験をしたとしても、

その後の人生に差が生じる理由がこれです。

そして、大きな経験である程、

この差は広くなっていきます。

 

では、どうやったら吸収率を高くできるのか?

 

それは、

結果に対して“Why”“If”を繰り返す

です。

 

スポーツ、勉強、仕事、恋愛

全てにおいて言えますが、

次に活かすことが出来ないと、

経験した意味がありません。

 

なぜこの結果になったのか?

もし行動が違えば結果は変わっていたのか?

ということを繰り返し考え、

深くまで考察することで、

経験をより吸収し成長することができます。

 

つまり経験とは、

自己の成長を助けたり、

思考の裏付けとして使用したりするための、

あくまでもサブ的な役割を果すものなのです。

 

経験がゴールとなってはいけません。

もしマウントを取るための道具として

使っている人をみかけたら、

決して近寄らないでください。

 

 

2. 経験マウント族に近付いてはいけない理由

 

経験マウント族とそうでない人には

決定的な違いがあります。

 

経験マウント族は、

やたら経験のみを語りだし、

酷いときにはその経験を押し付けてきます。

 

これこそ近付いてはいけない理由になります。

 

でも、なんだかんだ言っても

経験ってとても重要だし、

自分の知らないことを経験してる人の話って

非常にためになるんじゃないの?

と感じている人、要注意です。

 

先程、経験は教科書であると例えましたが、

経験のみを語る人というのは、

教科書を自慢しているだけで

何も学んでいないのです。

 

その教科書から何を学べるか、

自分はどうあるべきかを考えた上で、

人に伝えるからこそ

経験に価値が生まれます。

 

経験の自慢を聞いているだけでは

時間の無駄になりますので、

相手を見極めた上で話を聞きましょう。

 

また、経験マウント族の真の恐ろしさは、

同じ経験や苦労をなんの意味もなく

味合わせようとしてくる

ところにあります。

 

結果として自分のためになったらいいじゃん

と思う方もいるかもしれませんが、

リターンの割にリスクが大き過ぎます。

自分のためになる確率が極端に低いです。

 

何よりも、

ここにおける一番の問題は、

自分が何も学んでいない経験を相手に押し付ける

ことです。

 

この行為自体がおかしいのです。

正気の沙汰じゃありません。

 

例えるならそう、

残業を強要してくる上司

です。

 

・自分が若い頃は終電が当たり前

・今は恵まれ過ぎている

・最近の若者は苦労を知らない

 

と意味の分からない適当な理由を並べて

圧をかけてくる人に心当たりはありませんか?

 

自分がそうしてきたからという理由だけでは、

あまりにも幼稚過ぎますよね?

 

悪しき風習を変える努力をすることなく、

意味のない苦行を部下に強いている訳です。

 

また、たちの悪いことに、

経験を盾に攻撃してくるので、

経験してないものからしたら

抵抗しづらいんですよね。

もう想像しただけで恐ろしいですよね。

 

ただね、仕方ないんですよ。

ここは狂った世界なんですから。

 

 

3. 絡まれたとき絶対にしてはいけないこと

 

このときの最善の対処法は

・近付かない

・受け流す

です。

 

そんなこと分かってるわ!

できてたら苦労せんわ!

 

みなさんのツッコミの声がよく聞こえます。

 

プライベートならまだしも、

会社では嫌でも絡まないといけないときって

ありますもんね。

 

ということで、今回は対処法ではなく

絶対にしてはいけないこと

をお伝えします。

 

それは、

鵜呑みにしてそのまま受け入れる

ことです。

 

これさえしなければもうあなたは大丈夫。

 

いやいや、そんな簡単に鵜呑みにしませんやん

と思ったそこのあなた、

危ないですよ。

 

上司 vs あなた

複数 vs あなた

 

のような

 

・自分が弱い立場

・マイノリティな立場

 

になると意外と不安になるものです。

 

最初は、

ちょっと違うんじゃないの?

と思っていたとしても、

少しずつ、

もしかしておかしいのは自分なのかな?

と感じてしまいます。

 

間違っていたのは自分だと勘違いしてしまい、

最終的には、

その人の言うことは全て正しい

と洗脳されちゃうんですよね。

恐いですよね。

 

狙ってか狙わずかは分かりませんが、

これが経験マウント族のやり口です。

 

逃げても隠れても反撃してもいいてすが、

鵜呑みにしてそのまま受け入れる

これだけは絶対にしないでください。

 

水まんじゅうとのお約束ですよ。

 

 

4.水まんじゅうなりの戦い方

 

鵜呑みにはしないけど、耐えるだけは嫌だ

でも経験してない以上言い返しにくいし

とお嘆きの方、大丈夫です。

 

ぼくは実際に行ってきた、

やつらの魔の手をかい潜る方法を

お伝えします。

 

それは、

一度受け入れる

です。

 

おいおい、さっきと言ってること違うやんけ!

 

と思った方、落ち着いてください。

 

経験してないから反抗しづらいんですよね?

 

裏を返せば、

経験さえしてしまえば反抗しやすいんですよ。

 

反抗するために一度受け入れるのです。

 

もしかしたら、

自分のためになる経験かもしれませんし、

そうでなくても、

負の連鎖を断ち切ることができ、

後輩に嫌な経験をさせないで済みます。

 

ただ、一度受け入れる訳ですから、

もしかしたら洗脳される危険性があります。

 

そうならないためにも、

心の中では牙を磨き続けてください。

心まで従順になりさがったら終わりです。

 

そこまでして反抗したくないという人も、

このことだけは肝に銘じておいてください。

 

 

まとめ

 

今回のお話をまとめますと、

 

1. 経験についての認識と取扱い

・教科書のようなもの

・成長 = 経験 ✕ 吸収率

 

2. 経験マウント族に近付いてはいけない理由

・自分が学んでいない経験を相手に押し付けるから

 

3. 絡まれたときに絶対してはいけないこと

・鵜呑みにしてそのまま受け入れる

 

4. 水まんじゅうなりの戦い方

・一度経験してみる

・心の中では牙を磨き続ける

 

となります。

 

いかがでしたでしょうか?

経験でマウントを取ろうとしてくる人は、

経験の価値を分かっていません。

 

話を聞くだけ無駄です。

 

経験の価値や取扱い方を知り、

自分自身の成長と共に、

他者を見守ることのできる存在になれるよう、

深くまで考察し続けましょう。

 

ではまた。

 

はいどーも、水まんじゅうです。

 

“前の向き方”を話していく前に、

ぼくの考え方における

“3つの前提条件”

を説明します。

 

時間ない方は、

まとめ

だけ見たのでも十分です!

 

「はよ内容書いていかんかい」

となるかもしれませんが、

この前提条件がすごく大事で、

自分の人生を生きるために必要な

根っこの部分になります。

 

むしろ、この3つさえ押さえれば、

今後の投稿は読まなくてもいいです笑

 

なので、この前提を呼んだ段階で

拒否反応が出る方は、

ぼくから得られるものは

なにもないです。

 

という前置きは置いといてですね、

早速いっちゃいまーす!

 

3つの前提条件

1. この世界は狂っていると認める

2. 自分が一番大切

3. 全ての行いは自分のため

 

どうですか?

「それ聞いたことある」

「ありふれた言葉ですやん」

とか思う人もいると思いますが、

しばし待たれよ。

 

一つずつ、ぼくなりの解釈や考えを説明しますね。

 

1. この世界は狂っていると認める

この言葉は、ケント・M・キースの

それでもなお、人を愛しなさい

という本の冒頭に出てくる言葉です。

 

内容は割愛しますが、

ここでぼくが言いたいことは、

狂った世界で狂った人たちに囲まれながら

自分なりの正義を貫く

言い換えるなら

人前で胸を張れることをする

です。

 

あなたの周りにもいませんか?

“SNSで心ない発言をする人”

“否定ばっかりしてくる人”

“愚痴だけで何も行動しない人”

 

なんでこんな狂った人々に

自分が傷付けられなければ

ならないのか?

そもそもなんでこんなに

狂った人々が多いのか?

と感じているも多いと思います。

 

そんなあなたには

世界がこう見えていませんか?

 

その考え自体が悪いことでは

ないのですが、

狂った人々が現れる度に

イラついたり、悲しんだり

振り回されやすいです。

 

そこで、世界の見方を

逆転させてみましょう。

 

どうです?

どういう状況になったか分かります?

狂った世界に”健全なあなた”が

存在しています。

なので、

周りに狂った人々がいるのが

当たり前になるのです。

 

こう考えると、先ほどまでみたいに

狂った人が現れる度に振り回されるのが

馬鹿馬鹿しくなってきませんか?

 

そいで、ここからが一番大事なのですが、

この狂った世界で

“健全なあなた”が

どのように生きるか

 

これがないと、

状況が分かったところで、

なんの意味もないですよね?

 

そこで出てくるのが、

冒頭でも言った言葉

“自分なりの正義を貫く”

です。

絶対に自分まで狂ってはいけません。

 

自分なりの正義を貫くとはどういうことか?

・正しいと思うこと

・良いと思うこと

・真実であると思うこと

を信じて行うことです。

 

文句や嫌味を言ってくるのは、

狂った世界の人間たちです。

自信を持って自分の正義を

貫いてください。

 

何が正しいのか、何が良いことなのか

分からない方もいらっしゃると

思います。

 

その時考えて欲しいのが、

人前で胸を張って言えるかどうか

です。

胸を張って言えない行いが、

正義な訳がないからです。

 

何をしようがしまいが、

否定的な意見は出てきます。

どうせ文句を言われるなら、

自分が満足できる行いをした方が

いいと思いませんか?

 

2. 自分が一番大切

ここでぼくが言いたいことは

“他人を幸せにしたいのであれば、

自分の幸せは絶対条件”

ということです。

 

あなたは顔がビチャビチャにふやけた

アンパンマンに助けられたいですか?

そんなアンパンマンが

誰かを助けることができると思いますか?

 

嫌ですよね?無理ですよね?

 

アンパンマンは自分に余裕がある状態だから、

他人に顔を分けることができます。

ビチャビチャなパンのままでは、

誰も助けることはできません。

 

もし自分に余裕がない時はどうすれば良いか?

その時は絶対に、自分のケアをしてください。

 

「でも、目の前に困っている人がいるのに…」

と思う人もいるかもしれません。

 

ただよく考えてみてください。

あなたじゃないと助けられない人ですか?

そう思いたいだけではないですか?

 

あなたが助けなくても他の人がいます。

自分に余裕がないのに他人を助けようとすると、

共倒れしてしまう可能性が高いです。

 

それを避けるためにも、

自分に余裕がないときは、

元気100倍アンパンマンに

頼りましょう。

 

それでもやっぱり気になる

という方がいると思います。

その時は、

助けてくれそうな人を一緒に探す

くらいに留めておきましょう。

 

また、もし本当にあなたでないと

助けることができない

こんな深い間柄であるのならば、

その人も同じようにあなたのことを

気遣うはずです。

 

なので、

正直に余裕がないと言ったほうが、

フェアで誠実な反応だと思います。

 

まずは、自分の安定を優先させ、

次に、自分のできることを

できる範囲で行いましょう。

 

3. 全ての行いは自分のため

もうこの言葉の通りです。

“他人のために見える行いも

結局は自分のため”

であるということです。

 

例えば、

あなたは大切な人の誕生日に

プレゼントを送ったとします。

 

なんでプレゼントを送ったのですか?

と聞かれたら何と答えますか?

 

・誕生日だから?

・彼女が喜ぶから?

・プレゼントがないと悲しむから?

・・・

 

他にも色々あるかと思いますが、

この答えには全て共通点があります。

それは、

全部彼女のために行っている行為

ということです。

 

本当にそれだけでしょうか?

 

では、

なぜ彼女のために

プレゼントを送るのか?

と聞かれたら何と答えますか?

 

・良い格好を見せたいから

・喜んでる姿を見たいから

・悲しむ姿を見たくないから

・・・

とかではないでしょうか?

 

どうですか?

他人のためと思っている行為が

実は、

自分のために行っている行為

なんですよ。

 

そもそも相手の求めていることを

100%理解することは不可能なんですよ。

その時の気分や関係性、嘘や方便等

不確定要素が多すぎるからです。

 

でも自分は違いますよね。

 

なぜここまで考えないと

いけないのかと言いますと、

他人のために行動することで、

お互いに嫌な思いをする可能性が

高くなってしまうからです。

 

あなたも思ったことありませんか?

・あなたのためを思って注意してるのに

・あなたのためを思って相談に乗ってあげているのに

・あなたのためを思って・・・

 

どれだけ相手のことを

想っていたとしても、

相手が望んでいないことならば

それはただの押しつけですし、

自分の想いが届かないと

イライラしたり悲しくなって

しまいますよね。

 

同じ行いをしたとしても

自分のために行った行為でならば

こうはなりません。

 

なぜなら目的が違うからです。

相手の反応がよくなかったとしても

自分のために行ったことだからと

自分自身が納得することができます。

 

相手のことを考えるなら

なおさら自分のために

行動してください。

 

まとめ

いかがでした?

長々と書き連ねましたが、

ぼくが伝えたいことをまとめると、

 

この世は狂った世界ではあるが、

それを悲観し過ぎることなく、

自分自身を大切にし、

自分のために生きてほしい。

狂った人たちに負けないでほしい。

 

というぼくの一方的な想いです。

 

賛否両論あるでしょうが、

関係ありません。

ぼく自身のために

健全なあなたに向けて

書いた文章ですから。

 

 

最後になりますが、

このブログを書いていくにあたり、

あるときは応援し、

あるときは慰める、

傍にいて安心できる言葉

静かに燃えるような言葉

を皆様に届けたいと思っております。

あなたの力になることを願って。

 

ではまた。