最初に説明させてもらおう。
この見出しは釣りでも冗談でも下ネタでもない。
個人的には、至って大真面目で哲学的なトピックなのである。
皆さんは抱いたことがお有りだろうか?
同じ物体を見たとして、誰もが同じ様に認知しているかという疑問を。
例えば、そこに椅子があったとする。
それを見た人はそれぞれ、
”あれは足の長い椅子だ”
”あれは黄色い椅子だ”
”背もたれのない椅子だ”
と言ったそうだ。
皆バラバラのことを言っているが、誰一人として嘘は言っていない。
そう、そこにあったのは、”足が長く、背もたれのない、黄色い椅子”だったのだ。
これは、実際にそこにある椅子のどの部分に着目しているかという例え話であり、同一のものを観察した場合でも、観察者によって捉え方が異なるという例である。
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では、もう少し踏み込んでみたいと思う。
おっぱいまでもう少し。我慢して待ってほしい。
先程は、実際に観察した椅子について、それぞれの人が特徴をピックアップしていた。
では、”椅子とはどういうものか?”
という質問に対してはどう答えるのだろうか?
大半の人は、”人が座るもの”と答えるだろうが、そこが本題ではない。
想像した椅子だ。
そのとき想像した椅子は皆違うのではないだろうか?
脚が長いもの短いもの、背もたれがあるものないもの、固いもの柔らかいもの等、それぞれが様々な椅子を想像した筈だ。
漠然と特定のものを思い浮かべた場合、同一のものを観察した時より姿や形が異なりやすいのだ。
その思い浮かべた姿形は、答える人の趣味嗜好や重要だと思っている要素が含まれていると考えられる。
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更に、思い浮かべた椅子を何か特定のもので例えるとしたらどうなるか?
ここからが本題である。おっぱいは目の前だ。
多くのものは様々な側面を持っており、一つの例えでその人の全てを表現するのは不可能に近い。
そのため、何かに例えようとすると、そのものの情報を取捨選択せざるを得ない。
取捨選択の基準は答える人に一任され、その価値観によって変化する。
そのため、特定の人を思い浮かべたとしても、三者三様の例えが返ってき、同じ例えだったとしてもニュアンスが異なる場合がある。
取捨選択に用いた価値観とは、答える人にとって“あるもの”が”あるもの”であるための、とりわけ重要だと思っている特徴だと考えられる。
これをもっと身近なもので、様々な捉え方があり、男女問わず興味があるもので考えることができないだろうか…
………
……
…
おっぱいだ。
これしかない。おっぱいこそがこの問いを追求するにふさわしい。
逸る気持ちを抑えながら、周囲の人間に問い続けた。
“おっぱいを食べ物に例えると?”
聞いておいてなんだが、意外とみんな真剣に答えてくれた。
やはり皆おっぱいのことが好きなのだなということを再確認しながら結果をまとめていると、面白い傾向が見えてきたのだ。
ここではざっくりとしか書かないが、もしもう少し踏み込んで議論したい方がいらしゃったら、遠慮なくDMしてほしい。語り明かそうではないか。
やはり、男女でおっぱいの捉え方に異なる傾向が見られたのだ。
(何がやはりなのかについては野暮なので察していただきたい)
男性は、”おもち”, “プリン”, “肉まん”等、触感や見た目に寄った回答が多かったが、対する女性はというと、”マシュマロ”, “桃”等、雰囲気やイメージに寄った回答が多かった。
これはあくまで傾向であり、当然男性でマシュマロと回答した方もいれば、女性でプリンと回答した方もいる。
思ったより良い検討方法なのかもしれないなと自画自賛しつつも、より様々な観点から考察する必要があると感じている。
ちなみに私の回答は、”水まんじゅう”である。
透明感や爽やかさ、見た目の綺麗さ等を重視した結果、辿り着いた回答なのだろうなと考えられる。
皆さんの回答はいかがだろうか?
差し支えなければ、コメントもしくはDMしていただけるとありがたい。
考察がより深まり、新しい捉え方が見えてくるかもしれない。
ではまた。
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